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山口剛 (プロデューサー) : ウィキペディア日本語版 | 山口剛 (プロデューサー)[やまぐち つよし]
山口 剛(やまぐち つよし、1937年8月13日 - )は、日本のテレビプロデューサー。愛媛県出身〔『NTV火曜9時 アクションドラマの世界 「大都会」から「プロハンター」まで』(2015年、DU BOOKS)p.10 - 27〕。東京都立杉並高等学校、早稲田大学第一文学部英文科卒業〔。 == 略歴・人物 == 父が内務省勤務の国家公務員という家庭に生まれる〔。中学進学後以降、東京在住。この頃から映画好きになり、ランドルフ・スコット、チャールズ・W・エリオット、ジョエル・マクリーらが主演の西部劇、ジェームズ・キャグニー、ジャン・ギャバンらが主演のギャング映画などを好んで観るようになる〔。高校進学後は、海外ミステリ、ハードボイルドといった小説を好んで読み、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズなどのジャズを好んで聴くようになった。なお、ジャズ評論家の寺島靖国は高校時代の同級生〔。 大学入学後、仁賀克雄・小鷹信光らとともにワセダミステリクラブの創設に関わり〔、1961年に日本テレビ放送網入社、当初から志望していた映画部に配属〔。勤務の傍ら石上三登志らとともに『推理小説研究会』などの同人活動に関わる〔。社内では外画やアニメーション吹替えの音響演出、松竹テレビ部担当などを経て、小坂敬の下で製作補やアシスタントプロデューサーを務めた後、1972年、ドラマ『火曜日の女シリーズ』で一本立ち〔。1976年の『大都会 闘いの日々』以降は火曜夜9時のドラマ枠をほぼ一貫して手掛け、海外ミステリマニアとしての素養とミステリクラブ時代の人脈をフルに活かし、『探偵物語』『プロハンター』などの娯楽アクションを多数送り出した。同枠のスタッフ、スタッフ選定の際はむしろ「自分が映画を観た上で面白いと思った人を選ぶ」という手法をとっていた〔。廃枠以降は『火曜サスペンス劇場』や『水曜グランドロマン』などの立ち上げに参加する一方、1983年の文芸大作『波の盆』は、文化庁芸術祭大賞やATP賞など各賞を総舐めにした。 1992年、出版部門に異動〔実相寺昭雄『チェレスタは星のまたたき 世紀末のクラッシックと劇空間』(日本テレビ 編)- 巻末の編集スタッフ紹介より〕。1998年に日テレを定年退職後、現在はフリー。
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